トム君の書評

日々の生活の中での書評

哲学ノート

著者:三木清  分野:哲学/評論

発行:新潮文庫

初版:昭和32年9月

昭和55年2月 三十刷

この本を買ったのは、高校の時に倫理社会の課題で出されたためで、おそらく高校1年の時ではないかと思われる。何度か読もうと試みたが完全に跳ね飛ばされてきた。今回十分理解したとも思えないが、ともかくもやっと読み終えた。この歳になって思うが、やはり高校生が読むには無理があるように思える。知らない学者の名前は多数出てくるし英語はもとよりドイツ語の専門用語の記述も多い。ただ、こういうことは副次的な問題で筆者の思考をたどれれば読み通すことが可能と思われるが、それが可能な若者は果たしてどれだけいるのだろうか? 私個人としては、読み通すことができたのは自分がこの歳まで成長していろいろなものを積み重ねてきたからだと思っているので、楽しめてよかったと思っている。

 内容については、一貫しているわけではなくて、13篇の評論集となっている幅広いが、「序」に述べられているように内容は相互に連関している。哲学の主要テーマである伝統、リーダーシップ、倫理、言葉、歴史、危機意識、世界観などが述べられている。印象的なこととしては、リーダーシップに求められるのはなにより実践であり、構想力である。この歳になるとこんなことは当たり前に思えるのだが、若い時に実感するのは成熟の度合いによると思われる。また、天才であるのは何より創造力であり、芸術の能力である。これも、私は何年も働いてきて実感できることで、若いうちにできる人もいるのかなと思う。

 危機意識の中では、情勢の定義がなされ、そこから実践や主体性の重要性とそこから全体主義につながることが述べられている。これが書かれたのは昭和15,6年ごろでありまさに開戦前夜の状態だったので全体主義の危険性やファシズムリーダーたちの暴走を感じていたはずなのに、そのことについては曖昧にしか述べられず一般論が述べられているのはやや不満足に感じる。おそらく当時日本を代表する知性であった三木清であれば、あらわでなくても隠喩的に強い警告を発するべきであったと思われるがそこはやはり非力なインテリの弱さだったのだろうか?

 今のような時代にこの本のような議論が実用的であるかと考えるが、むしろ重要性は増してきていると思われる。これらの内容はまさにノートであって読者が深く考えねばならぬことであり、個々人が明確な世界観を持ちえない限り人類滅亡はすぐそこにあると思われる。このノートを糸口に自分の生き方、指導者像、世界観を持てれば生き方に指針を与えるし、優れたリーダーを見出したり自分がなったり、ひいては迷いながらも人類の未来像を描けるのではないかと思う。