トム君の書評

日々の生活の中での書評

メキメキ頭がよくなる「超」思考法

著者:中川昌彦

出版:実務教育出版      分野:ビジネス

初版:2003年7月

評価:★★★

 

いつ買った本かも思い出せない。12年くらい前だろうか? 以前読んだかも思い出せない。たぶん一度は読んでいるのだと思う。2000年くらいまでは読書ノートをつけていたんだけど、その後はつけなくなってしまっている。

 この本は、アイディア発想の技法が10種類くらい述べられている。著者は125冊著書があるそうだから、なかなかすごい人なんだろう。私に関して言えば、この本に書かれているアイディア発想法は若いころはなかなか気が付かなくて、何年も働いていると半分くらいは身についた気がするけど、読んでみるとまだまだ役に立つことも多いという気がして、意外に良い本という気がする。

 最近心がけていることは、読んだ本は良いものであってもできるだけ処理してしまうことだが、(ものを減らさないときりがないので)この本だけはしぶしぶまた本立てにしまうことにする。良い本、感動を与える本というとまた別の問題だが、、、。

 

蒼氓

著者:石川達三         分野:小説/文学

出版:新潮文庫

初版:昭和26年12月

昭和61年10月 61刷

 

1930年、ブラジルに「ラプラタ丸」で向かう900人余りが収容所に収容されてから、ブラジルのサンパウロに到着して生活を始めるまでの様子が描かれている。

 第1部 蒼茫: 収容所生活 8日

 第2部 南海航路: ブラジル到着までの航海 45日

 第3部 声なき民: ブラジルに入植するまでの数日間

この小説は、特定の主人公がなくて、フォーカスが場面場面に次々に移る形で描かれている。特段珍しくもないのかもしれないが、雰囲気を現すのにはわかりやすい気がする。そのなかでも、印象的な人物が何人かいる。門馬家の老母とその二人の純真な息子。佐藤姉弟。監督の村松と、助監督の小水など。

 感じるのは、今から思えばはるかに厳しい環境での日本人の力強さと前向きさであり、苛烈な環境でももともと病人の死者一人のみで航海を乗り切り、移民たちが力強く生活し始めることである。こういうところは見習いたいが、私のように健康にやや不安のある人間にはしたくてもできないことかもしれない、、、。

 北杜夫が「輝ける青き空の下で」全4巻を戦後書いている。あとがきでは触れていなかった気がするが、この本をかなり意識して、この本を超えようとして書いたように思われる。(そして、実際内容的にはこの本よりはるかに盛沢山である)

 石川達三については、以前にほかの本も1冊くらい読んだ気がする。良い作家だと思うが、重厚で読んでて疲れた気がする。しかし、この本はかなり読みやすいし内容も良くて同じような文体ならまた読みたくなる気がする。

ある隻脚(片足)教授の一生

著書:清光照夫   分野:自伝/思想、経済

出版:近代文芸社

第1刷 2002年11月

 

父が友人だった、東京水産大学の経済学の教授だった清光先生の一冊。

自分史の一冊でやけに薄いのは学生生活がメインで就職されてからの記述が非常に短いためだ。これはなんでなんだろう? 詳しいことは書いてないのでわからないが、6歳で片足を失われたのだからそのご苦労は察するに余りある。しかし、そんな苦労をものともせず高校から家を離れて一人暮らしされているのだからさすがである。

学者なので、いろいろと思想上のことで言いたいことがあるのだろうと思うがこの本には、あまり詳しく書かれてはいない。ただ、わずかに述べられた中に感じられるのは、シュンペンターはマルクスに影響を受けていたと思われることとか、あるいは国を豊かにするには一人一人の欲望は抑えるべきだとか、共産主義への評価が感じられる一方で、愛する母が愛国婦人会に入っていて戦争が終わるとすぐ亡くなったことなども書かれているし、仏教や武士道への崇敬も感じられるので、かなりいろいろなものが入り混じった思想を持たれているのではないかと思われる。

それよりは、学生時代から培った交友関係とそれがその後の人生にどのような影響を与えたかが詳しく述べられている。私のようにほとんど友人などいない人間からすると、確かに親しい友人は確かに本当に良いものだと思う。

先生が亡くなられて10年になるのだろうか? 亡くなられた後でもこうやって出会えることはありがたいことだと思う。

不毛の言説 [国会答弁の中の日米関係] シリーズ[日米関係]10

著書:山本満 (責任監修:細谷千博)   分野:国際関係/政治

   企画・編集 国際大学 日米関係研究所

発行: Japan Times

1992年3月 初版

 

こちらも父の遺品で友人の山本先生の著作を見つけたので読んでみた。

題名の通り、かなり退屈な内容だが、読み通せたのはさすが山本先生のうまさだろうか?

すでに周知の事実かもしれないが、国会の討論が「不毛の言説」であることが日米関係に焦点を当てて語られている。この当時と比べて、今の国会答弁が質的に向上したなどということはもちろんない。むしろ劣化しているかもしれないが、よく聞いているわけでもないので、わからない。

対比として登場するのは国会答弁の質の高さがよく知られているイギリスである。ここでは国会答弁はまさに「ダモクレスの剣」。真剣勝負で失敗は許されない。

しかし不思議なのは、国としてみた場合日本がイギリスに劣っているとはとても思えない。経済でも技術でも日本のほうが上だと思うし、文化でも、まったく異質であるがほぼ匹敵するレベルではないかと思う。基礎科学や思想ではイギリスのほうが進んでいる気はするが、、。また世界にしてきたことといえばイギリスなど悪いことしかしていない気がする、、。それでいてこれほど国会では劣っているのはやはり教育のせいだろうか? 私自信も議論の重要性を痛感するようになったのは30歳過ぎてのことだ。まず自分の考えを持ったうえで、議論の中でそれを練り上げる過程を経ないと相変わらずアメリカから脅しを受けて、それから考えるという受け身の姿勢は変われないのだろう。困ったものだ。 

そういえば、私が子供のころ親父から言われたことは、男はあまり話すな、であった。それではだめだと思うが、そんなことを言う人が当時はまだ結構いた気がする。その後の教育も割と記憶重視だったことが今の日本を生んでいるようだ。

共産党の議論などももっともなところはあるが、きちんとした対案が示されているとは思えない。やはり何より待望されるのは「責任野党」であろう。     

血族

著書:山口瞳    分野:小説/文学

文春文庫

第1刷 昭和57年2月

第3刷 昭和57年6月

 

この本も父の遺品の中から見つけたものだ。第27回菊池寛賞受賞と後ろ書きにある。

山口瞳は、以前に「けっぱり先生」を読んだのと、この本を読んだだけだが、内容の良さはともかくやや重苦しくてくどい文章だ。軽快とは言えないので、面白くない内容だと放り出しそうだ。

ところで、この本に関してはこの文体と内容が見事にマッチしている。「血の塊」などというおどろおどろしい表現が面白さを引き立てている。

この話は、私が中学校くらいの時にNHKのTVドラマで見たことがある。当時、小林桂樹が演じていて、ぐいぐい引き込まれる内容に強烈なイメージを受けた。追いかけても追いかけてもなぞは晴れない、、、。最後にたどり着いた答えに主人公は複雑な表情を見せていた、、、。

こちらの原作ももちろん話はほとんど同じなのだが、事実はさらに複雑である。この話は作者の血族を描いたもので、想像はほとんどなく「小説」なのかもよくわからない。「私小説」というのとも少し違う気がする、、、。作者は50歳までこの問題を避けていたため、もっと若いころに探求していれば比較的簡単に答えにはたどり着けたのかもしれないが、その時になって始めたため現実には無数の壁に突き当たることになる、、、。最後の2章は、母の血族の探求に偏っていた内容が父側の話になるとともに全体の答えが暗示されて晴れ晴れとした気持ちになる。

私自身は、田舎から出てきた父と母だけの家庭に育ち、従兄弟も少なく伯父伯母は遠くに離れている人が多くて親戚というものが少ない環境だった。今になってみると少し寂しく思える。ちょうど作者と同じくらいの歳で父もなくなってしまったので、作者と同じような探求をしてみたい気がふとわいたりするが「いったい何のためか」と人に問われてきちんとした答えを持てる気がせずおそらく実行できないのかと思っている、、。

英詩鑑賞入門

著者:新井明  分野:英文学

発行:研究者出版

初版:1986年10月

1987年11月 4刷

 

大学2年の時読んだ教科書で、2/3くらいまで読んでその後30年近く放置されていた。本棚の肥やしがなくなるのは何よりうれしい。大学より進歩したと感じるのは、一度読めばともかく情景は目に浮かんでくる。今回読んだのは現代の内容が主なのだが、それ以前に比べれば、感情をそぎ落として孤独を感じさせる内容が多い。これも現代の風潮なのだろうか?

 岩波のイギリス名詩選というのも手元にあるので読んでみようと思う。どこまで深く理解できるかはよくわからないけど。

 韻というのは洋詩が入る前から日本にあったのだろうか? ヨーロッパ言語は歯切れがよくてアクセントが強いので、その点は日本語より韻が映える気がする。

 技術主義の限界を感じる今日この頃、こんなものに触れて創造をたたき起こせたのは良かったと思う。

哲学ノート

著者:三木清  分野:哲学/評論

発行:新潮文庫

初版:昭和32年9月

昭和55年2月 三十刷

この本を買ったのは、高校の時に倫理社会の課題で出されたためで、おそらく高校1年の時ではないかと思われる。何度か読もうと試みたが完全に跳ね飛ばされてきた。今回十分理解したとも思えないが、ともかくもやっと読み終えた。この歳になって思うが、やはり高校生が読むには無理があるように思える。知らない学者の名前は多数出てくるし英語はもとよりドイツ語の専門用語の記述も多い。ただ、こういうことは副次的な問題で筆者の思考をたどれれば読み通すことが可能と思われるが、それが可能な若者は果たしてどれだけいるのだろうか? 私個人としては、読み通すことができたのは自分がこの歳まで成長していろいろなものを積み重ねてきたからだと思っているので、楽しめてよかったと思っている。

 内容については、一貫しているわけではなくて、13篇の評論集となっている幅広いが、「序」に述べられているように内容は相互に連関している。哲学の主要テーマである伝統、リーダーシップ、倫理、言葉、歴史、危機意識、世界観などが述べられている。印象的なこととしては、リーダーシップに求められるのはなにより実践であり、構想力である。この歳になるとこんなことは当たり前に思えるのだが、若い時に実感するのは成熟の度合いによると思われる。また、天才であるのは何より創造力であり、芸術の能力である。これも、私は何年も働いてきて実感できることで、若いうちにできる人もいるのかなと思う。

 危機意識の中では、情勢の定義がなされ、そこから実践や主体性の重要性とそこから全体主義につながることが述べられている。これが書かれたのは昭和15,6年ごろでありまさに開戦前夜の状態だったので全体主義の危険性やファシズムリーダーたちの暴走を感じていたはずなのに、そのことについては曖昧にしか述べられず一般論が述べられているのはやや不満足に感じる。おそらく当時日本を代表する知性であった三木清であれば、あらわでなくても隠喩的に強い警告を発するべきであったと思われるがそこはやはり非力なインテリの弱さだったのだろうか?

 今のような時代にこの本のような議論が実用的であるかと考えるが、むしろ重要性は増してきていると思われる。これらの内容はまさにノートであって読者が深く考えねばならぬことであり、個々人が明確な世界観を持ちえない限り人類滅亡はすぐそこにあると思われる。このノートを糸口に自分の生き方、指導者像、世界観を持てれば生き方に指針を与えるし、優れたリーダーを見出したり自分がなったり、ひいては迷いながらも人類の未来像を描けるのではないかと思う。